創団の頃

創団

パリ・ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団の来日が契機となって創団されたと語り継がれている。パリギャルドが来日したのは36年11月で、九州での公演は小倉のみだった。

第2回定期演奏会プログラム「吹奏楽団紹介」より
私達吹奏楽団は昭和36年4月、九大フィルハーモニーの管楽器部門から分離独立しその第1歩を踏み出しました。初代指揮者原田博之氏で部員20名、しかもほとんどが大学に入って初めて楽器を手にした者ばかりで、学校の行事に出演するのが精一杯でした。その後、二代目指揮者、小野勲君に引き継がれ、彼のエネルギッシュな指揮の下に部員40名を越える程になり、筑後地方への演奏旅行を持ったり、38年10月には西部吹奏楽コンクール大学の部で2位の成績を収め、ついで38年12月、第1回定期演奏会を持つに至りました。現指揮者原田 皓二くんに指揮が移って、昨年、今年に、学内はもちろん学外において連盟主催の各行事に積極的に参加し、着々と成果を収めて、ここに第2回定期演奏会を持つことになりました。

第17回定期演奏会プログラム「九吹20年の歩み」より
昭和36年,六本松教養部のブラスバンド同好会として結成。38年学友会のサークルとして認められ、「純粋な音楽としての吹奏楽の確立」「吹奏楽の市民への幅広い普及」という目標のもとに九州大学吹奏楽部と改称。同年第1回定演を開催。第三回定演あたりまで、吹奏楽部独自の部員では人数が揃わず、九大フィルのメンバーに参加してもらっていた。その後九州大学吹奏楽団と改称。

創立当初の楽器事情

第17回定期演奏会プログラム「九吹20年の歩み」より
創立当初は殆んど楽器がなく、九大フィルなどから借用していた。以降、定演の入場料の剰余金や部員のアルバイト、大学の予算などで、少しずつ楽器を増やしていったのである。バリトンサックスに至っては、板付の駐留米軍から譲り受けたもので、本日の定演(※編注:第17回)に於いても使用されている。また、教養部の庶務課にあった、講義の開始・終了を告げるベルを深夜拝借し、演奏に使用したこともあった。

部室

第17回定期演奏会プログラム「九吹20年の歩み」より
創立時に部室はなく、吹奏楽部昇格の時から医学部の音楽堂を他のサークルと共用の練習場兼楽器置場として使用した。
その後2、3年して、教養部のオンボロサークル棟の部屋を獲得したようである。この部室は、以前の教官室を大学より与えられたもので、楽器置場を兼ねた陽の当たらない暗い部室として現在(※編注:当時)まで使用されている。

三好隆三先生

第7回定期演奏会より、西ドイツ(当時)ミュンヘン国立音楽大学へ留学された年の第11回を除いて現在まで定期演奏会の指揮をして頂いている。

8回定期演奏会プログラム「指揮者プロフィール」
西のデニスブレイン、東の千葉馨、そしてその谷間のドン底に三好隆三あり、と噂されるほど彼のホルン奏者としての地位は確固たるものである。かてて加えて、九大吹奏楽団の正指揮者という名誉ある地位を兼ねて、音楽家としての彼は、今その上昇期にある。「おはようございます。」に始まる夜の練習は熾烈をきわめ、彼の温厚な表情とは裏腹な「鬼の三好」のニックネームもすっかり定着してしまった。彼の「鬼の三好」たる由縁は「ハイ、もう一度始めからやってみましょう。」のやさしい一言に由来する。いい加減バテてしまった時に、その言葉を耳にする恐怖は、部員全員の心に一生とり除くことのできない傷を残してしまった。さすがに今夜は、この言葉を聞くことはあるまいと思うのだが…。しかし、彼の音楽に対する情熱は強気ものでありやはり頼れるオジサン(アッまちがった。また先生に叱られてしまう。)−アニキである。
三好隆三先生年譜

無料定演

第7回定期演奏会より入場料を無料、現在まで続いている。

第17回定期演奏会プログラム「九吹20年の歩み」より
第7回定演より入場無料となる。定演のための資金など数多くの困難(矛盾)の中で現在もなお続けられている。